DeepStream

令和の御代の日本と世界を考える

日本の歴史は4万年。後からやってくる大陸の人々に先んじて豊かな文化を築いていた

ジャック・アタリはその著『新世界秩序』に絡んで「アジアの小国から世界の主役の一人と言われるようになった日本」と語っている。

こんな歴史観で、日本は戦後長く、日本の歴史を賎しめられてきた。

しかし、日本で発見された磨製石器は3万8000年ぐらい前のものであり、世界最古級のものである。海部陽介氏(国立化学博物館人類史研究グループ長)が指摘するように「旧石器時代の日本列島は実は世界の最先端だった」。

また縄文土器は約1万6000年前のものが見つかっており、これは世界的に最も古い土器である。

土器が現われるのは、人間の生活から見れば、食べ物を煮炊きするライフスタイルを身に付けたということであり、煮炊きして食事をとる温かい団らんのある文化は日本で史上初めて生まれたと言い換えられるかもしれない。

加えて、岡山県灘崎町の彦崎貝塚では、縄文時代前期(約6000年前)の地層からイネのプラントオパールが大量に見つかった。大量に見つかったというところがポイントで、そこから、イネが栽培されているということが予想されるわけだ。伊都国歴史博物館長の西谷正氏は「縄文中期以降に稲作があったことは確実」と確信している。

国立遺伝学研究所の倉田のり教授(植物ゲノム学)らによれば、野生イネから人の手になる「最初の栽培イネは、ベトナム国境に近い中国広西チワン族自治区の珠江流域で生まれた」らしく、「栽培イネの系統は中国から日本に伝わったジャポニカと、インドや東南アジアなどのインディカに大別されるが、どちらも珠江中流域の南寧市付近の野生種が祖先と判明。ある一つの野生集団からジャポニカが生まれた後、南下したジャポニカが各地の野生種と交配し、インディカが生まれたことも分かった」(産経新聞2013.4.29)

イネ栽培はどのように伝わったのか、今なら貿易によってと言えるかもしれないが、そうだろうか。

イネ栽培を始めた人々が海伝いに生活の場を移動しながら、日本列島にもやってきたのではないかと考える。

遺伝子の世界分布などから分かっていることは、人類はアフリカで発生し、そこから地中海周辺そして中近東へと広がり、ユーラシア大陸を東へと移動してきているのだから、人間の生活の場の移動とともに、生活を支えるモノを一緒に携えてきたと考えるのは自然だろう。

ところで、朝鮮半島の稲作は1500年前にまで遡るのが精一杯であり、朝鮮半島から日本に稲作が伝わったという教科書は間違っているということだ。

また、さらに古い旧石器時代の遺跡が、日本には1万ヵ所以上もあるのに、朝鮮半島にはわずか40~50ヵ所でしかない。寂しい限りだ。

要するにこうしたことから、日本は4万年前ころから既に世界の最先端の生活を実現していたことを実感できるだろう。

次に、遺伝子から見てみよう。

日本人の多くに見られるY染色体のタイプは、ハプログループD1bに属している。このグループは3.8~3.7万年前に日本で生まれたと言われている。おそらくこのころ既に日本人は日本列島で暮らし始めていることを表わし、それは旧石器時代の遺跡や石器などがたくさん発見されていることからも間違いないだろう。

父系(男系)の血筋がわかるY染色体ハプログループについてみると、ハプログループはAタイプから始まり、Tタイプまである。

A・Bタイプはアフリカの人々に多く、以降のタイプが世界に散っている。アフリカを出て地中海周辺や中近東あたりに広がった人類から最初にC~Dタイプが生まれている。これを言い換えれば、この古いタイプの直系が日本人であるということだ。ちなみにユダヤ人はEタイプに属している。

一方、中国人や朝鮮人に多いのはOタイプである。

父系(男系)の血筋を辿ると、日本人は中国人や朝鮮人より早くからユーラシア大陸を東へと移動して、日本列島に至っていることが分かる。

その後に生まれて、後から来たのが、中国人や朝鮮人だった。

これを儒教的に表現すれば、日本人こそが親であり、中国人や朝鮮人は日本人の何代も後に生まれた民族であるということだ。

だからこそ、磨製石器も、土器も、世界最古級のものを日本人が作ってきたのだ。

ちなみに中国最古の土器は河北省徐水荘頭で発見されたもので、1万500年前のものと判明している。さらに時代を下れば、黄河中・下流域の雑穀文化圏がようやく8000~7000年あたりに始まっている。

この中国大陸や朝鮮半島と比べれば、日本の文化・文明のほうがはるかに深く、豊かであるということが本当の話であると言えるだろう。

このことは、温暖な生活環境が大きく関わっているという点も指摘しておきたい。温かい海沿いは当然、温かいエリアだ。しかし海から遠く離れた内陸は冷たく、食料となる動植物も豊富ではなくなり、農耕には不適地だった。当然と言えば、当然だろう。

しかしながら、それにもかかわらず、これまで日本は歴史的に遅れた地域であり、中国や朝鮮から伝えられた高度な文化・文明の恩恵のおかげで文明化できたというふうに言われ、それが史実であるかのように日本人に刷り込まれている。

先のジャック・アタリの見解も同じ趣旨のものであり、こういう歴史観自虐史観と言えるのだろうし、これは、戦後、共産主義者が多く紛れ込んでいたGHQによって押し付けられたものだ。

だから、一日も早く、日本人がこうした自虐史観から解放され、本当の日本の歴史を知る時代が訪れることを願っている。