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令和の御代の日本と世界を考える

日本人と半島や大陸の人々は途方もなく異なる歴史を持っている

日本で発見された磨製石器は3万年前のものといわれ、昭和24年に岩宿遺跡から発見された。それは旧石器時代である。日本以外ではオーストリアのヴォレンドルフ遺跡から出土した石器が約2万5000年前のものといわれ、日本より遅れること5000年である。

縄文土器は最も古いもので約1万6000年前といわれ、これも世界で最古の土器といえる。しかも、出土数を見れば、三内丸山古墳のある青森県から2415点。次いで岩手県からは1560点。日本中では7000~8000点になりそうだ。これはとてつもなく多い数字と言えるだろう。1万年前の遺跡からこんなに豊富な遺物が出てくるところが、世界の他の地域であるだろうか。

また、お米に関しては、縄文時代前期(1万2000年前)の遺跡からイネのプラントオパールが見つかっており、また、岡山県の彦崎貝塚縄文時代前期(約6000年前)の地層からは大量のイネのプラントオパールが見つかっている。

つまり、学校では、稲作は弥生時代朝鮮半島を経由して日本にもたらされたなどという説が歴史的真実であるかのように教えられているが、これは考え直す必要があるだろう。

さらにイネの遺伝子を見れば、大陸や半島で作られているものと日本のイネとは別種であるという。日本のイネはどうも野生の原種を品種改良してきたものであるらしい。

あるいは、漆は英語でjapanと言うが、日本で発見された漆器は6500年前、一説では9000年前とも言われるほど古いのだ。中国では河姆渡遺跡から中国最古の漆器が見つかっているが、この遺跡は紀元前5000年頃~紀元前4500年頃のものと言われることから、日本の漆器はさらに古い時代に作られたものであることが分かる。しかも、中国で発見されたものよりも日本の漆器のほうが塗りの質が高いのだ。

などなど、学校の教科書で教えられる歴史とは随分印象が違っており、日本は独自にとても古い歴史をもち、おそらくは古代中国よりも高度な文明すらもっていたと想像できるのだ。

だからこそ、現代の日本は、朝鮮半島や中国と比較しても、人々の民度の高さでは圧倒的に日本のほうが上であり、その要因はこうした技術文明そして文化が、日本では人類史上最古の部類にさかのぼることすらできそうな事実からもうなずけることなのだと思う。

実際、日本人のY染色体はDタイプに属しているが、アフリカで誕生した現生人類は分類がAタイプから始まることを見ても、Dタイプは比較的早い時期にアフリカから外へ広がっていった初期の人類に属するものといえるようで、中近東辺りで誕生したものだろう。

比較すれば、今の中国に住む人々はOタイプが多く、白人(アーリア人)に多いのはRタイプである。言い換えれば、Dタイプの日本人よりもかなり後になって生まれたグループに属していると言えるようだ。

東へ東へと真っ先に移動していったグループは、ユーラシア大陸に多くの足跡を残し、いわばその後、その道すがらの途中、途中で生まれたグループがその後に続いたと言えるのではないか。

後に続いたグループは、日本人のように協力し合い助け合って生きぬいていく文化ではなく、後から追いかけて、既にその地に先に住んでいたグループから文化や文明を、つまりは、もともといた先住の人々の命や生活を暴力的に略奪していったのではないか、とも想像している。

そんなグループの一つのアーリア人系の人々は、だからこそ、近代になってから、苛烈な植民地経営を営み、世界の先住の人々からその富を暴力的に奪いとり、略奪を欲しいままにしたのであろうと想像する。

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